センス

センスってなんだろう。
あんまり考えないようにしたいテーマのひとつである。

以前知り合いのデザイナー志望の女の子が、せっかく入った服飾の専門学校を早々にやめて「私は自分のセンスに自信があるから、自分のセンスでやっていく。学校の世話にはならない」と言っていたことがあって、めちゃくちゃ違和感を持ってしまったのを今でも覚えている。

このエピソードで重要なのは(私にとって重要なのは)、その女の子の発言ではなくて、私が違和感を持ったということだ。その女の子のキャリアは私の人生に関係ないので、センスで大成しようが、どうなろうと別に気にならない。問題は自分が抱いた違和感である。

もうこの違和感から20年くらい経っているが、たびたびこのことについて飽きもせず考える。私は人に誇れるセンスなぞ持ち合わせていない。だからその子のことが羨ましくて、違和感を持ったのだろうか。それとも、社会ってそんな甘いもんじゃないよ、みたいな反発からの違和感だろうか。どれもなんかしっくりこないのである。

センスってなんでしょうね。(ふたたび)
センスがいいとか、センスがあるとか、そんな使い方をするじゃないですか。美意識?好み?感性?まあ、そんなようなものだろう。

自分が今仕事をさせてもらっているフィールド(美容・文章・商品開発)は、少なからずセンスが問われるようにも思う。私も何かしらのセンスめいたものを使って仕事をしている。それは実感している。でもじゃあ、私が発揮しているセンスめいたものって何よと考えると、それはこれまでに蓄積されてきた経験でしかない。生まれ持った、とんでもなく斬新な尖ったセンスみたいなものではない。人の気持ちを知ったり、さまざまな仕事を経験させてもらったり、そういった過程で培ってきた価値観だと思う。それは「私のもの」ではないような気がする。たまたま私が拾い集めてきたスクラップブックのようなものだ。

つくづく思うのは、流行や世相のようなものは移り変わるということで、持ち前のセンスのようなものがあるとしたら、それと時代との相性というのは間違いなくある。どんなにセンスがよくても(センスがいいって何?)、それが時代にフィットしなければ力を発揮できない。

自分にはセンスがあるとか自分にはセンスがないとか、そういう判断ってできないよねと思ってるんだな、私は。センスというものに大きな価値を置きたくない。自分で自分のセンスについて考えることもなるべくしたくない。もっと大切なことが他にある。だから自分にセンスがあると言い切っていたあの日の彼女を不思議に思ったのかもしれない。

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