『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

あまりにも良かった。

アルモドバルの映画は私の人生観にかなり影響を及ぼしている。とか言いながら彼の過去作品一覧を見てみると全然制覇していなかった。すいません。とにかく私は『ボルベール〈帰郷〉』が大好きで、『トーク・トゥ・ハー』と、もちろん『オール・アバウト・マイ・マザー』も好きなのだが『バッド・エデュケーション』はちょっと苦手だった記憶。

彼の作品には割と「(なんらかの理由で)うまく家族になれない人」が出てくるという印象がある。私はなぜか昔から「家族」というモチーフに弱く、一時期是枝監督の作品が好きだったことや、大島弓子の漫画が大好きだったりするのもそれが理由だと思っている。理想的な家族をつくりたいとか、自分が属する家族に誇りを持っているとか思ったことはなく、自分自身の人生においては「家族」が重要な意味を占めたことはあまりない(息子のことは置いておいて)。それなのに、なぜだろう。不思議だ。

アルモドバル作品で私が好きなのは「人生に滲むおかしみ」が描かれるところだ。なんかちょっと笑っちゃうとか、不格好だけれども愛おしいとか、そういった、明確なカテゴライズのない、狭間に存在する輝きを描くのが抜群にうまいと私は思っていて、それによって人生って素晴らしいな、生きるって素敵なことだなという気持ちになる。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、アルモドバルのそのようなエッセンスがかなり洗練された形で滲んだ作品だと感じた。当たり前だがアルモドバルも私も歳を重ねており、時代は変わっている。その変化の流れをしっかりと感じられるところが素晴らしかった。たとえばモチーフとして「安楽死」「気候変動」「少子化」「シングルマザー」「時間の流れ」「尊厳」などがある。そしてもちろん愛も。

予告などで記されるあらすじのイントロダクションでは「友人にあるショッキングな提案をされる話」とあるが、安楽死は今の時代、さほどショッキングなトピックスではないんじゃないか?と私は思ってしまう。むしろとってもリアルだし、これからの時代、避けて通れないテーマではないかと思う。安楽死についての私の考えをここに書くことは避けるけれども、私はとても美しい話だと感じたし、これがドキュメンタリーであってもいいと感じた。

美しく生きることを貫くというのはとても難しい。難しいけれども、人生が終わるそのときまで、その人なりの美しさを追い求めていっていいのだし、再開したっていいのだし、諦めなくていいのだ、と思わせてくれた。個人的にはジョン・タトゥーロが演じるダミアンの台詞(スタンス)がとてもリアルだった。この時代、子どもを3人も産むなんて信じられない、世界はどんどん悪いほうへ向かってる、環境は酷くなるいっぽうなのに、世の中は何も変わろうとしない、云々。それに対してジュリアン・ムーア演じるイングリッドが言ったセリフが素晴らしかった。

そしてティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの、演技は言わずもがな、佇まいというか、ふたりのキャラデザインの描き分けがあまりにもすごくて痺れてしまった。ティルダ演じるマーサの、直線的な生き方。イングリッドの、曲線的な生き方。それぞれの服の、髪の、メイクアップの個性、スタイルがあまりにも完璧であった。それがアルモドバルの色彩のなかで展開していくという、贅沢以外の何ものでもない映像だった。

「終わりを自分で決められる」ことは、生きる力をくれるものだ。しみじみ思った。

しかしですね、私は映画についてそんな詳しくないですが好きな監督というのは何人かいて、アルモドバルとヴェンダースはその代表だったりするのだけど、『PERFECT DAYS』とのコントラストを感じてしまいました。どっちも好きだし、この世界で生きたいと思うことに変わりはないけれど、『PERFECT DAYS』はやっぱり古典的なものになってしまうのかなとも感じた。もちろん、古典には古典の良さがある。

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