「限界!」
ふたりの友人と「ひつじ会」なるものを開催している。計3名の私たちは、3/23-25と誕生日がちょうど続いていて、全員牡羊座である。性格は割と各々違うのだけれども、3色団子みたいなバランス感で、お互いとても快適に話ができる。いつから集いはじめたか忘れたが、誕生日付近に集まって互いに労ったりアホな話をして笑ったりしながら「じゃあ、またここから一年頑張って生きますか」みたいに爽やかに終わる会だ。
いつも集ってまず「最近どう?元気してる?」みたいな話をするのだけど、今年はこんなことで悩んでるとか、こんないいことがあったとか、最近なんかつまらなくて/面白くてみたいな「方向性」「ニュアンス」の話じゃなく、3人とも心の底からきっぱりと「限界」だった。限界のスリーカード。
私は割とすぐ弱音を吐くタイプのため、日々限界ですという言葉はカジュアルに使わせてもらっているが(だって限界なので)、うち一人が「限界です!我らの年代で限界じゃない人っているのかな?」とこぼしたあと、少し涙を滲ませていた。ふだんそんな言葉は口にしていないから、自分ではっきりと声に出したことで、きっと心が緩んだのだと思う。限界であることを自分に許せるかであったり、限界であることを自覚できるかであったり、そういったことについて考えない、やさしい人っているのだよね、とその友人を見て思った(だっていつも私は考えているので)。
自分が限界の僻地にいることを、認識できる場所というのはとても大切なのだなと思った。その表明ができるということは言わずもがな、その表明に立ち合わせてもらうことが、励ましになるというか、いわゆる互助の作用をもたらすのだなと。
加齢によって脳のキャパが狭くなったり、季節の変化に体がついていかなくなったり、記憶が曖昧になったり捏造されたりと、さんざんなことも多いけれど、それについてちゃんと残念がりながらも面白がり、諦めとはまた違うモードで受け入れながら、ときに限界と叫び、美味しいワインを飲んで、互いを褒めたり労ったりしながら、気づけばエネルギーがチャージされているというありがたい会に感謝。
私は自分が限界とすぐ口にするため他者の限界にも寛容(?)です。限界と叫びたいときはぜひお声がけください。