本というデザイン #仕事美辞外伝02

詳しくは本文を読んでほしいんですが、ある人との対談のなかで「石橋を叩いて渡るかどうかという話があるが、『どんな石橋を渡りたいか?』という問いの答えには、かなりその人らしさがあらわれる」という話になりました。たとえば「石橋を叩いて渡るタイプ」というのは結局のところ「頑丈で安心な橋を渡りたい」ということであるし、頑丈とか安心の定義も、結構人によって違いますよね。

AYANAさんはどんな橋を渡りたいですかと訊かれて、私は「デザインがいい感じの橋を渡りたい」と答えました。これは対談時にパッと出てきた答えではあるんですが、その後何度も思い返して、そのたびに、うん、私はそうだなと妙に納得してしまうのです。

「デザインがいい感じの橋」とは何か。もちろん見た目がかっこいいとか、そういう話になるんだけど、何よりもそこにスタイルが息づいているということ、なのではないかと思います。そしてそういう橋を作りたいというよりは渡りたい、中を見てみたいという感じなわけです。どんな人がどんな思いでこのディテールにしたのかを考えたりするのが好きだし、いいデザインのなかに自分が存在しているっていうのはとても気分のいいものなので。美術館にいるような感じです。

たとえば家電を購入するときなどにも思いますが、私にとってデザインはとても重要な意味を持っているのだなぁと思います。どんなに機能性が優れていても、配色がとか形状がとか、この変なフォントがちょっととか、そういう部分が引っかかって購入に至らないというのはよくあることで、ただ、別に私がハイセンスとか、デザインに詳しいとか、そういう話ではないのかなと思っています。ただ好きなものがあるだけ。だから「デザインが優れている橋」ではなく「デザインがいい感じの橋」という表現にしたわけですが。

ということで本もしかり、好きなデザインがあります。紙質やフォント、レイアウト、佇まい。そこから漏れ出る空気のようなもの。だから本を作るとき、装丁を誰にお願いするかというのは非常に重要で、『仕事美辞』も『「美しい」のものさし』同様に、米山菜津子さんにお願いをしました。

米山さんは絶大な信頼を置いているデザイナーで、私の文章講座、EMOTIONAL WRITING METHODのロゴやウェブサイトも彼女にデザインをお願いしています。過去にお仕事をご一緒したことも何度かあり、もちろん手がけたものもたくさんみてきているのですが、私のなかで「よねちゃん(米山さんのこと)のデザインが大好き」という気持ちと「よねちゃんのデザインって掴みきれないな」という気持ちが同時に存在しています。わかりきっていない。それが、すごくいいんです。知りたくなるから。

『仕事美辞』も『「美しい」のものさし』も、やっぱりよねちゃんにお願いしてよかったと心の底から思うんですが、そこには「計画通り(デスノート)」みたいな気持ちはあまりなくて、むしろ「こういうふうに作ってくれるんだ!」みたいな新鮮な驚きのほうが大きくあったりする。AYANAのフォントはこれを使うんだとか。そういう新しい景色を見せてくれる、世界を広げてくれる、好きなものを増やしてくれる感じ?がよねちゃんのデザインにはあるんです。語りすぎない無骨さもあるし、二度と訪れない光の繊細さを捉えるみたいな部分もあるし、よねちゃんと同じ時代に生きていて、デザインを拝見させてもらえるだけでなく、自分の表現するものの色・かたち・質感を何倍にも広げてくれる、それをやってもらえることの嬉しさとありがたさと心強さと。的な。

本はモノですから、たんなる言葉の集積ではない、ひとつのデザインであると私は思います。その作り手によねちゃんがいるということが、どんなに心強いか。

『仕事美辞』の装丁も快く引き受けてくれたよねちゃんなのですが、どんな装丁にしたいですかと訊かれ『「美しい」のものさし』と並んだときに、同じような違うような、どこかに共通した何かがある程度の「いとこ」の距離感にしてほしい、とお願いしました。隣のクラスの友達、とかじゃなく、兄弟とかでもない、いとこの関係。それから、表紙を赤でいきたいとお願いしました。そこで上がってきたのが、あのデザインです。しびれますよね。

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